【イラストレーター×バイヤー対談・前編】沖縄を、表現すること
2018.11.30
PEOPLEリウボウグループ創業70周年記念企画として、京都の老舗、一澤信三郎帆布と樂園百貨店がコラボレーションしたトートバッグが完成しました。バッグに描かれているのは、樂園の風を感じるバナナの葉。樂園百貨店キービジュアルの作者であるイラストレーターのMIREIさんと、バイヤーである大嶺佐紀子さんのお二人に、制作にまつわるエピソードを語っていただきました。
子どもの誕生と成長の嬉しさが咲かせた、空想の花
―本日はよろしくお願いいたします。
MIREIさん/大嶺佐紀子さん ※以下、MIREI・大嶺
よろしくお願いします。
―大嶺さんは、樂園百貨店のバイヤーとして、“いいモノ”を求めて、県内外を奔走されていると伺いました。
大嶺 社内外で構成されている「バイイングチーム」で、 “背景にストーリーを感じるモノ”を中心に、樂園百貨店に並べるアイテムをセレクトしています。あとは、イベントがあるときの商品構成も担当しています。
― MIREIさんは、イラストレーターとして、沖縄を拠点に県内外で活躍されていますが、ずっと沖縄で活動されてきたのでしょうか?
MIREI 沖縄の大学でデザインを学んだあと、デザイナーとして3年ほど東京で働いていたんです。その後、27歳で沖縄に戻ってきて、本格的にイラストの仕事をスタートしました。
―東京時代は、デザイナーとして活躍されていのですね。そのころから、イラストレーターになろうと考えていたのですか?
MIREI もともと、小さいころから絵を描くのが好きだったので、それを活かすような仕事ができたら…とは、ずっと考えていました。でも、イラストって、最終的にはデザインの中に組み込まれるものなんですよね。だから、まずはデザインを知らないとイラストの仕事はできないと思って、デザイン会社に就職したんです。
ただ、とにかく忙しくて、日々の仕事をこなすのが精一杯。イラストどころじゃなかったんですが、それが逆にイラストレーターになりたい! という気持ちを強くしたように思います。
―その後、沖縄に戻られて、イラストレーターとしての一歩を踏み出された。
MIREI もちろん最初から仕事なんて無いので、展示会をやったりグループ展に参加したり、アートイベントに参加したり。とにかく絵を見てもらわないことには始まらないので、いろいろと積極的に参加していましたね。そこで絵を見た方から少しずつ依頼をいただくようになって。また、その作品を見てお願いしたいと言ってくださる方がいて…と少しずつ繋がっていって、今に至るという感じです。
―MIREIさんといえば、お花をモチーフとしたイラストの印象があります。
大嶺 そうですよね。樂園百貨店のリフレッシュオープンのときも、キービジュアルとしてお花をモチーフにしたイラストを描いていただいたんです。普段って、どういったものにインスピレーションを受けて描くことが多いのですか?
MIREI 実はお花のモチーフを描くようになったのは、わりと最近のことなんです。初期の頃は人物とか、子どものイラストが多かったですね。結婚して初めての子どもができたときに、なんとなくお花のイメージが頭の中に浮かんできて「あ、描いてみたい」って思ったんです。
子どもが生まれてきてくれて嬉しいという気持ちと、昨日できなかったことが今日はできている、日に日に成長していく変化の喜びが、なんとなくお花が咲くときの嬉しい気持ちと重なって。それで、アクリル絵の具を使って一枚大きな空想のお花の絵を描いたのがきっかけになりました。
それからカレンダーを作ってみようと思って、小さな絵ですけど、12枚のお花の絵を描いてカレンダーを作って販売してみたら、翌年も欲しいという反応をいただいて。最初はちょっと描いてみようかな、ぐらいの感覚だったんですけど、続けていたらわりとそれが知られるようになって、最近はお花のイメージが強いのかもしれませんね。
といっても私のなかではこれだけ!というのではもちろん無くて、今の気持ちがちょうどお花にフィットしているのだと思います。
―素敵なエピソードですね…。創作するうえで、MIREIさんが大事にされているのはどんなことでしょうか?
MIREI そうですね…、たとえば広告のなかでイラストを使うときには、それを見てちゃんと人に伝わるようなものを心がけています。見る人にテーマを伝えるためにはどんなイラストがいいか、と考えて。
ただ、空想の花の絵みたいに相手がいない場合は、今なにを描きたいのか模索しながら自分との対話で描いていくので、描き方が全然違うんです。なにかを伝えたいというよりは、今の自分の感覚をアウトプットするような気持ちで描いています。
沖縄だからこそ描ける絵と、思いやりにあふれたものづくり
―樂園百貨店には、国内外の”いいモノ”が揃っていますが、大嶺さんが“いいモノ”や“ストーリーのあるモノ”にたどり着くまでには、どんな道のりがあるのでしょうか?
大嶺 いちばん多いのは、なにかひとつ“いいモノ”を入れると、その作家さんのお知り合いであったり、その商品をよく使っている人が好きな別のモノが繋がってきたり、そういったかたちで数珠つなぎに情報が集まってくることでしょうか。地道に、そこをたどっていったりしますね。
あとは、生産者の方にお話を伺って、こういうこだわりをもって作っているんだ、というストーリーを知ったときに、その商品を樂園百貨店に置きたいなと感じることが多いですね。なので、実際に工房を訪れたり、作家さんに会いに行ったりは、なるべくするようにしています。
―MIREIさんと大嶺さんはおふたりとも沖縄ご出身ですが、それが現在のお仕事になにか影響していることはありますか?
MIREI 私は就職で県外に出て、初めて気づいたことがいろいろありました。たとえば、沖縄に住んでいるときは、絵を描くときに、“色を使う”ということに全く抵抗がなく自然と描いていたんです。それが県外に行ったら急に使えなくなっちゃって…。
大嶺 えっ、そうなんですか?
MIREI 明るい色がまず使えない。たぶん、“光”が違うからなんでしょうね。県外、東京ではちょっと落ち着いたトーンというか、沖縄で暮らしていたときにはあまり使わなかった色を選ぶようになっていました。それがすごく自分っぽくないというか、「あれ、私の絵ってこんなだったかな?」って。
―作風自体が変わってしまった?
MIREI なんだろうな、すごく周りを気にする絵になっちゃったんです。東京はやっぱり情報が多くて、絵を使った表現とか広告とかが、駅とか街とか、どこにでもあるじゃないですか。そういうのを見てしまうと、「あ、今これが流行ってるんだなー」とか、「こんなタッチがあるんだなー」とか、無意識のうちに影響を受けてしまっていて。私が本来持っている線を見失ってしまったんです。沖縄にいるときにはなにも考えず自然に絵を描いていたのに、東京にいるとその感覚が分からなくなってしまって。私は情報が多すぎてもダメなんだと思います。
やっぱり生まれ育ってきた沖縄の“光”の中で描くのが、自分らしくいられる環境なんだ。描くなら沖縄じゃないとダメだ。描くなら沖縄に帰ろう、って。
沖縄帰ってきてからは、すっごく楽になりました。それこそもう、何も考えずにとにかく描きたいものを描いてましたね。描きたいという気持ちが爆発していました(笑)。気持ちがそのまんま絵に出ちゃうので、自分でも分かるぐらい線がイキイキしていて、そのことがとても嬉しかったんです。生まれ育った場所なので当たり前かもしれないけど、沖縄は私にとってすごく大切な場所だな、と再認識しました。
―MIREIさんの絵はザ・沖縄というイメージではないですが、実は作風に強く影響を与えていたんですね。
大嶺さんはバイイングを行ううえで、県内外、国内外の膨大な数の商品を目にすると思いますが、そのなかで沖縄のものづくりについて感じることはありますか?
大嶺 いちばん大きいと感じるのは“人”ですね。人と人のつながりがものすごく強い島なので、いつも誰かのことを思いやっていたり、いつも誰かが気にかけてくれていたり。そういう気持ちが沖縄のものづくりに表れているような気がしています。
私は今までずっと沖縄で暮らしてきたのですが、樂園百貨店に携わるまで、実は沖縄のことを全然知らなかったんです。あんまり興味を持っていなかったというか…。それまでは都会への憧れのほうが強くて、東京や海外の先進的なデザインがかっこいいと感じていたんです。
でも樂園百貨店を通じて、沖縄にもこんなにいろいろいいモノがあって、面白い人たちがいるんだ、ということを知って。かつて沖縄が琉球王国だった時代から、陶芸であったり織物であったり、食文化や、暮らしのなかでうまれた工芸品であったり。そういったものが県内各地で脈々と受け継がれていたり形を変えて発展していったりしているのを知って、すごく面白いと思ったんです。
―樂園百貨店をきっかけに、地元である沖縄の魅力を見つめなおすことができたんですね。
大嶺 実際にお会いする作り手の方たちも、すごくのびのびとしていて、いつも温かく思いやりをもって生きていらっしゃるんですよね。それがしっかり作品にも表れているんです。嘘のない作品というか。それが沖縄の良さなのかな、と感じています。無理して身の丈以上のものを作ろうとしない、自然体でいいものを作り出す、その姿勢がすごく素敵ですよね。
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後編では、MIREIさんがイラストを描かれた、オリジナルトートバッグの作成秘話を伺います。後編はこちらから。